Photos vs Memories

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Photos add more good memories
— Baku Osawa

多面にわたる技術の進歩によって、ハンディに一瞬の時を記録することができるようになりました。現在はその復刻版が人気の昔愛用されていた「映るんです」などは現像という手間が必要でしたが、デジタル開発が飛躍的に進んだ現在は、携帯端末一つで撮影から現像までを行えることができ、地球の反対側へ数秒で送信しシェアすることもできます。素晴らしい進化の裏に、「記憶するはずの思い出」は何処へいってしまうのか?という疑問がでてきました。

写真の世界や業界の進化は、人間の心理上、本来の思い出のどのあたりを担っているのでしょうか?

Thanks to technological advancements across the field, it has become possible to record instants of time on the handy. Currently, the reprinted version is popular and used long ago, but it took time and effort to develop, but now digital development has progressed dramatically, from shooting to development with one mobile terminal You can do it and send it to the other side of the earth in seconds and share it. Behind the wonderful evolution, where do you go to "memory to be remembered"? The question has come up. What kind of original memories do the evolution of the world of photography and the industry carry?

 
 

昔から記憶している風景

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北海道西部の田舎町の漁港付近(寿都町)に生まれた私は、いつか連れていってもらった岩だらけの海の風景をいまでも鮮明に記憶しています。

誰と行ったのか、どうやっていったのかは覚えていないものの、どんよりとした空や荒い波の様子をいまでも思い出します。

当然3歳くらいだったのでカメラなどの撮影機器は持ち合わせていない。でも心に刻まれているのです。

反対に、1週間前の今日、携帯しているスマホで何を撮影したかは覚えていないません。ライブラリを開けば思い出すだろうけども、全く意識していなと思い出せないものです。

これはどんな技術開発であっても人間の心と真理には、響くものとそうでないものが無意識に差別化されているからだと思います。必要が無いときは忘れるし、何かを必死になって記憶したいという時は覚えてしまっているという結果ではないでしょうか。

人間の出会いもそうで、成り行きで知り合った人は既に忘れているし、対者も同じだと思います。お互いのニーズが歩み寄ってはじめて意識しあって記憶に残るもので、流れ作業のような一瞬は永遠でもなんでも無い。

 

一瞬を捉える「写真」

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  • 動・動いているものを切り取るように撮影し情景を表現する

  • 製品に付帯する品物を同時に含めることができ世界を作りやすい

  • 撮影技術によって寒さ暖かさを表現できるので人間の心理へ問いかけることができる


    写真は人間の表情に繋げられるツールだと思っています。白黒しか無かった時代であっても、その立ち姿や賑わいを伝えることができたように、現代のフルカラーの写真は、何万倍もの表情を作り出せるスペックや可能性がつまったものです。

    広告業界だけではなく、一般的なライフスタイルの中で深く浸透している「写真」の魅力はこれからも更に人気のツールになってゆくでしょう。1500円程度から上は上限なしで性能の違いがあるカメラを選ぶことができますが、一番重要なのは撮影する人間の目線ですね。

 

「写真」は「記憶」を助けるか

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写真を振り返りながら、その瞬間の思いに触れることはありますよね。写真自体の魅力ではなく、自身を主観的な立場において情景を振り返る瞬間です。

何を食べたか、何を飲んだかよりも重要なのは、その場でどんな笑顔だったのか、どんな口調だったのか、そういった人間本来のコミュニケーションを記憶しているものだと思うんです。

写真は記憶を助けます。良くも悪くも思い出として記憶を辿る材料になるからです。ですが、本来の記憶は自身のココロに存在して消えないので、材料としての写真は「助長」するだけの効力はあっても、深く掘り下げた人間の感情まで立ち入ってこないものだと思います。

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その立ち位置の違いがあるのが健全であると思うんです。ノンフィクションのドキュメンタリーフォトなどは、戦場の悲惨は事実を描写しますが、日常の「写真」は感情のメリハリまでを助けるまでとして存在しているのが空気感が良くってわたしの好みの付き合い方です。

 

技術進化をココロのより所としない

デジタルの開発が進化する度に、手の中で操作できる端末に於いてそのコミュニケーションデザインも様々な面で派生してきています。

日本国内だけではなく誰でも国外の誰かに気軽にリーチできるなんて20年前は思ってもいなかったでしょう。

技術開発=便利ではない事に気付いているのも現代人に多く見られます。特に若年層は最低限の技術進化にうまく付き合いながら、恋人や家族と過ごす時間をとても大切にしているように見えます。

友人とインスタ映えするカフェで撮影した後は、注文したパンケーキを頬張りながら笑顔で会話する瞬間などは微笑ましくも感じられます。

一人の歴史を自身で創り上げて行く工程で、技術開発によってその表現の手段が増えたということは、最新技術だけに依存しないでアナログの良い場面を大切にすることができる、それが現代の一番良い部分ではないでしょうか。

わたしも昔から記憶している風景を大切に、そこからこぼれ落ちる言葉を技術開発の力に載せて提供してゆきたいものです。科学や開発技術・テクノロジーは、アナログな歴史の上に成り立っている事を忘れたくないですね。

#写真 #思い出 #camera #photography